カレンダーの研究から少し遅れ、Willett(1950)もWWR(World Weather Records)に収録された129地点のデータを使い、1845年から1940年までデータベースを更新し、全球気温変動の時系列を作成した。ウィレットは次に示すように、可能な限り注意深く連続しかつ均質なデータを選ぶことで、より信頼性を高めることを試みた。例えばヨーロッパなどは相対的に観測所が密に分布するため、平均値を求めた場合にこの地域の気温を過大評価した結果となる。これを避けるため、緯度・経度10度のグリッド毎に最も信頼性のある一地点のデータを選ぶことで、空間的な均一性を確保した。その後、各観測地点の月平均値を5年平均値に加工し、1935年~1939年の平均値からの偏差を求めた。こうして、どの地域にも等しい重み付けを施した気温をもとに、全球平均気温の時系列変化を示した。
すでに述べたように、カレンダーは1961年に1938年の曲線を改良したが、この際、Willett(1950)の結果を参照した。カレンダーが改良したのは観測地点数を増やすことで、独自の質的管理条件をクリアした約600地点のデータを使用した。ほぼ時期を同じくして、ウィレットが指導したMitchell(1963)が、ウィレットと同じデータベースに200地点以上の気温時系列データを追加して1959年までを更新し、解析した。緯度・経度10度ごとに観測点を一ヶ所選ぶ方法は以前と同じだったが、緯度10度の地帯ごとに表面積を求め、その面積を考慮した重み付けを施して全球平均気温を求めた。この方法により観測点の空間代表性が一層確保され、全球平均値の概念にふさわしい平均気温の算出が可能になった。
ミッチェルの曲線(実際には折れ線)は緯度帯の面積を考慮して重み付けをしたので、同じデータベースを使ったウィレットの曲線より変動の幅が小さくなった。両者の比較を図1に示す。上段は年平均気温、下段は冬季の平均気温(いずれも5年平均値)で1880~1884年の平均からの偏差(単位:華氏)で示してある。実線は面積で重み付けした結果、破線はウォレットの方法(面積の重み付けなし)である。1800年代以降、年経過とともに両者の差は拡大している。低緯度の観測地点のデータが代表する面積は高緯度のそれより広いので、地球平均値に対する寄与率は大きくなければならない。地球規模の気温上昇は高緯度でより顕著に進んでいる現象を考えると、重み付けにより高緯度地帯の気温の影響が小さくなり、その結果、合理的な方向へ修正されたことが分かる。
ところで、高緯度の昇温速度が低緯度より早い現象は、地球温暖化の際立った特徴の一つである。これは、表面が白く反射率(アルベド)の大きな積雪や氷に覆われた高緯度地帯では、気温上昇とともに雪や氷が溶けて黒っぽい反射率の小さい地面が現れる。その結果、地表面がそれまでと比較して太陽放射エネルギーを多く受け取り、下層から大気を暖めて気温上昇に拍車がかかるためである。この現象を、アイスアルベド・フィードバックという。将来を予測する大循環モデルにはこのプロセスが組み込まれているため、急速に高緯度地帯の気温が上昇するシミュレーション結果となっている。雪や氷が融解すると、湿地が現れ、主要な温室効果ガスであるメタンが発生する。すると、ますます温室効果が進んで気温が上昇する。従って、アイスアルベド・フィードバックは、地球温暖化の過程において正のフィードバックとして働く。
なお、メタンは二酸化炭素を1とするとその約25倍(現在の濃度および分解するまでの寿命から算出される今後100年間の平均状態に依存)の温室効果の強度を持つガスである。すなわち、現在の大気中のメタン濃度は二酸化炭素の約1/200と少ないが、同じ濃度だけ増えた場合を比較すると、メタンは二酸化炭素の約25倍の温室効果を引き起こす。この強度の基準を地球温暖化係数と呼び、温室効果ガス排出削減策や温室効果ガス排出シナリオなどの議論を行う際にガスの種類を区別する指標となる。
さて話しを戻そう。ここで紹介したMitchell(1963)の論文は、ユネスコとWMO(世界気象機関)が共催した乾燥地域の環境問題に関する「ローマ・シンポジウム」の講演集に収録されている。シンポジウムでは、新しい知見の集約だけでなく乾燥地域に暮らす人々の生活改善に貢献することが目的に掲げられていた。ミッチェルの論文の要約には次のように記載されている。このシンポジウムの興味は恐らく過去1世紀の温暖化により熱帯がどのていど昇温に寄与しているかを知ることだ。低緯度地帯、すなわち北緯30度~南緯30度の地帯の平均気温は、1880年から1940年にかけて約1°F(0.6℃)上昇し、その後下降傾向となった。
ここで図を見ると、一つの特徴、1940年以降に下降している特徴に気づくだろう。この過去の気温への復元を暗示するような変化は、その後、揺らぎながらも1970年代まで続くことになる。すでに述べた、晩年のカレンダーが抱いた憂鬱は、まさにこの気温降下の時代に遭遇したできごとだった。地球環境の変化を知り将来を予測して対応を考える場合に、この時代に現れた地球規模の気温の下降現象も正しく理解しなければならない。この気温下降の要因に関しては、後に触れることにする。
参考資料
・Mitchell, J.M.: On the world-wide pattern of secular temperature change. In: Changes of Climate. Proceedings of the Rome Symposium Organized by UNESCO and the World Meteorological Organization、Arid Zone Research Series No.20, UNESCO, Paris, 161-181. 1963
・Willett, H.C.: Temperature trends of the past century. In: Centenary Proceedings of the Royal Meteorological Society. R. Meteorol. Soc. London, 195-206. 1950