再び1930年代から1950年代における地球規模の気温変動の図を見てみよう。地球規模の気温上昇傾向が現れてはいたが、当時の多くの気候学者はこの曲線を知るよしもなく、地球温暖化は信じがたいものだった。というのも、それまでの常識では、観測データ数はとにかく膨大で、おまけに不規則に変動しており、全体として怪しげな変動を示すものとして見なされていた。専門家達によると、気候は長期間を通して相変わらず十分に一様性を保っていると考えられていた。当時、最も尊敬されている気候学者の一人であるHelmut Landsbergでさえ、1946年に「現実として、今後数十年で我われの住む気候が変わるだろうという点について、信ずるべき理由がない」と述べている。気温が高い年と低い年がほぼ同様の頻度で起こるため「もし数十年間にある地域の気温に明瞭な変化があっても、それはその地域で固有な周期を持った現象なので、結局のところ平均場としては元に復元する」というわけである。
こうした状況に加え、高緯度地域の気温に注目していたスエーデンのHans Ahlmannは、20世紀はじめの明瞭な気温上昇を発見した。しかし1952年になって、再び高緯度の気温が下降していることを見出した。これは気温上昇が継続していない事例であった。このような経緯を背景として、当時の気候学者達は、CO2放出による温暖化の議論が「過去数年間で衰退した」と決めつけた。つまり1930年代以降の気温上昇は特定地域の現象であり、氷河期の出現のような広域かつゆっくりした気候変化と比較して「気候の揺らぎは小規模にとどまっている」と認識し、地球規模の温暖化を否定したのである。
そうした状況のもとで、カレンダーが1820年代から1930年代に現れた気温上昇を発表したのは1938年である。その気温上昇は1940年のはじめころまで継続することになる。その後、1950年代から1960年代にかけて徐々に曲線は上昇を止める。この、いわば気温上昇が抑制された変動は若干下降傾向さえ示しながら1970年代中頃まで続く。ただし、この実態を示す図が公表されるまでには少し時間を要した。当時の社会では地球温暖化説が取りざたされる一方で、体感する気候は逆の方向に振れつつあったことになる。
気候は平均値の周囲を揺らいでいる、という考えは、年代が進むに従い変わりつつあった。1958年になるとランズバーグは、「気候学の最近の傾向」という論文をサイエンス誌に投稿した。この論文には「近年、気候は純粋に記述的な科学から変革し、物理学に根ざした科学へ変わりつつある」という副題が付けられていた。気候学の役割についても考え方が変わり、大スケール現象のみを対照とするのではなく、さまざまなスケールの現象を介して植物や動物の環境とも関係する幅の広い学問と考えられるようになった。
同じ頃、1959年に著名な気候史家Hubert H. Lambは「気候は標準の状態を取り扱うという考えを変えなければならない」と述べた。最近の10年間の気候は、過去のどんな標準を使っても当てはめることができず、また今後の10年間の標準として使用することもできないと指摘した。このころ気温は上昇を止めて下降に転じていた。ラムは、このいわば停滞現象が地域的に現れた「低温側への揺らぎ」と見なした。この卓越した考えは,中世にさかのぼる長期の気候解析で自分が身につけたものだった。また彼は、地域的な気候変動であっても簡単に止まないと主張した。それにもかかわらず多くの学者達は、見かけ上の平均へ向かうような反転傾向を目にして、しばらく前に予想された変化が実は特定地域に限られた現象であるという考えに陥った。もしその時点において、温暖化が地球規模で起こっている真実だという合意があったなら、温暖化防止策がより早く検討されていただろう。地球温暖化の科学史のなかで、この検討は1980年代になってやっと行われることになる。
参考文献
Landsberg, H.E.: Current problems in research-Trends in climatology. Science, 128, 749-758. 1958
Lamb, H.H.: Our changing climate, past and present. Weather, 14, 299-318. 1959