1961年1月のニューヨークで雪の多い異常な寒さの日に、J. Murray Mitchell, Jr、アメリカ気象局の気候オフィスに所属する研究者、は気象学者の会合で、地球の気温は下降していることを報告した。彼は、カレンダー(この頃、最初の発表以降、自ら地球気温の記録を更新し、変動しながらも上昇傾向を示すグラフの修正版を発表していた)とは独立に、地道に入念な計算を行い、全球に及ぶ地域を対象としたもっともらしい平均気温を得るに至っていた。彼が示した結果は、地球平均気温はほぼ1940年まで上昇したが、その後、場所また年による非常に不規則な変動があるが、今や下降に反転したことを示した。
ミッチェルは、大気中のCO2濃度の上昇は気温上昇をもたらすということを認めつつ、最近の火山爆発と、恐らく周期的に起こる太陽活動の影響が重なり、この時期に下降に反転したと考えた(これは、その後の研究で正しいことが証明されることになる)。しかし、当然のことながら「こうした説だけでは、最近の気温下降の規模を説明するに十分でない」と彼は感じていた。そこで、結論として「不思議な謎」とだけ言及した。彼は、この気温降下は80年ほど継続する自然の揺らぎである可能性があるとも指摘した。
古老の科学評論家、Walter Sullivanは、その後の1961年1月25日と30日のニューヨークタイムスで、気象学者達は気温が下降している実態に基本的に同意したが、その原因あるいはその他の気候変動の存在は同意できず、「さまざまな可能性が議論され、科学的事実との決闘に火花が散った」ことを紹介した。科学者ばかりでなく、一般に人々は、野外を歩く時の天候に特別な注意を払うのが常である。混迷しているように見える気候科学は、衆目の厄介者のような存在になった。地球温暖化が身近に起こっていると言われるなら、その真偽が注目の的となるのはしかたないことだった。
1960年代を過ぎ1970年代に入る時期に、全球平均気温は相変わらず寒冷化する傾向にあった。特に西ヨーロッパでは、記録に残る寒い冬が訪れた。実際に1970年代の研究では、北大西洋上の準定常長期天候周期変動の解析が進み、1960年代には極循環の流れがより南へ張り出すモードに移行していたことが知られていた。
1970年代初め、地球が暖まっているか冷えているか、再び気候の専門家達が集まって議論を行った。カレンダーはすでに亡くなっていたが、彼も気づいていた、今や厄介とも思われる気温の下方への曲がり角について気候の専門家達は議論した。ランズバーグといえば、彼の初期の見解、気候は恐らく移行状態の変動を呈しているに過ぎないという見解、にたち戻った。またこの一方、大気汚染とCO2の温室効果は限られた地域で気候に影響しているかも知れず、従って「全球規模では、未解明の自然の力が卓越していることが考えられる」とした。同時に、賢明にも、遠い将来の地球環境の変化の見通しに関連して「自己満足に陥るべきでない」と付け加えた。