シティ・ウォッチ・スクエア

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2015年

竜巻?被害について

17日の14時ころに、辻堂・亀井野・六会・横浜泉区西部にかけて突風の被害が発生しました。この時に、NPOの藤沢AWSの観測では14m/sを記録しました。本日19日の新聞記事では、気象庁が竜巻を認めた、とありました。

昨日(18日午後)にニュースの映像にもあった日大の桜並木の倒伏現場を見てきました。次の写真の通りです。並木路の両側はグランドで、強風を受けやすく約40㌢ほどの立派な桜が2本倒れていました(17日中に根本を残して伐採)。写真から、歩道のアスファルトが盛り上がっていることが分かります。根の張る深さを幅が限られていて、倒伏し易い状態であったことも分かります。

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AWSの記録を拡大した図を次に示します。上段の赤:瞬間風速は、14時ころに突然強風が吹いたことがわかります。青:風向はほぼ南ですが、強風発生の前後で東寄りから西よりにシフトしました。中段の赤:気温は、風向シフトに同調して若干気温が下がりその後元にもどる傾向を示しました。また、下段のブルー:降水量には、4mm/hのピークが現れました。20150817AWS

風向の変化を考えると、移動する強風の中心部に向かい、時間とともにシフトしたこと、気温の低下と降雨を伴ったことから、竜巻だったと判断してもおかしくないと考えられます。さらに詳細な解析を行うことで、竜巻の実態が明らかになるでしょう。これには、AWSの瞬間値の解析、付近の気象観測値の整理、により明らかになるでしょう。

竜巻と思われる強風が発生した時刻前後の対流域の分布(http://www.tenki.jp/forecaster/diary/deskpart/2015/08/17/29941.html)は以下のとおりです。興味のある会員は、一緒に解析してみませんか。members@に申し込んでください。

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地球温暖化曲線の系譜(10)重要な海洋データ

地球規模の平均気温を求める際に、海洋データは欠かすことができない。しかし1970年代まで、海洋データの系統的な質的管理は行われず、その結果、代表性の高い地球温暖化曲線の作成に大きな制約があった。限られたデータで地球規模の平均気温の変動が描かれたことによる弊害は、1970年頃に議論の的となった寒冷化論(氷河期再来の予測)が象徴的である。見かけ上の地球規模の気温低下の要因の一つに、海洋データの欠如があったことは、前回に述べたとおりである。

当初、海洋データに含まれる誤差に関連して、次のような特徴が知られていた。Folland et al.(1984)を引用すると以下の通りである。(1)初期の海面水温は布製のバケツなどで海水を採取して測定したが、その後、船体内に海水を導入する方法に変わった。すると海水を引き込む過程で船体の発熱が影響することになり、洋上の気温の基準となる海水面温度は以前より約0.3~0.7℃高くなった。(2)海洋上の気温は船舶の速度で変化することもあった。一定の通風条件で測定する決まりがなかったためである。(3)風を受けた帆の風下の位置で気温を測定した場合には、帆が空気を温める効果により気温は高めになった。さらに、(4)温度計が日射や甲板からの反射を遮蔽しない方式であっため、気温は高めになる傾向があった。そもそも、(5)測定方法が記述された観測記録ばかりではなく、また、時代的にも船舶によっても、こうした状況はまちまちだった。

船舶データの活用に最初に取り組んだのは、オーストラリアとアメリカの研究者Paltridge and Woodruff(1981)だった。海洋上にも計算対象とするグリッドを設定し、できるだけ長期間について信頼性の高いデータベースを作ることを試みた。一般に、観測期間が短いとサンプル数が多い。そこで、夏(6月~8月)期間と冬(12月~2月)期間を個別に計算し、その後両者の平均から年平均値を求めることで長期に渡る変動を求めた。

パルトリッジ・ウッドラフの解析対象地域を図1(Fig.1)に示す。緯度・経度のメッシュで点を付けた部分は陸上の気温データがある領域、斜線の部分は海面温度データがある領域をそれぞれ示す。また右側の数値は、陸上(L)と海上(S)でデータがある領域の個数を示す。これらの領域の値を使い帯状平均値を計算し、さらにその平均値から全球の平均気温を求めた。

データの無い領域が非常に広大で、特に海洋域を中心として南半球のデータが少ないことが一目でわかる。このように限られた領域であったが、陸上および海洋上の気温を使用して図2(Fig.5)の結果が得られた。図の黒点が、彼らが求めた地球規模の平均気温である。図には同時に、地上の観測値のみから求めたミッチェル(Mitchell, 1963)の結果(詳細については前掲を参照)も描かれている。両者を比較すると、変動のパターンに位相が認められ、陸上のみから求めた結果と比較して極値が10~20年遅れて現れている。このような位相が現れる理由として、パルトリッジ・ウッドラフは、海洋の熱容量が大きいためと説明した。しかし同時に、変動のほぼ1サイクルに相当する期間しか示されておらず、今後の研究によるところが大きいとも指摘した。

前回述べた、サリンジャー・ガンが南半球で温暖化が進んでいることを根拠に寒冷化説に終止符を打った時期、それはまさに黒い点の最後の部分が示すように気温が高い時期に一致することが見て取れる。パルトリッジ・ウッドラフの研究は、海洋データの均質性の議論が十分ではなかったものの、学会の評価は好意的だった。というのも、彼らは海洋上気温の重要性に注目して全球平均気温の解析に取り組んだ先駆者だったからである。

この後、陸上と海上の気温データベースの整備が進み、緻密な解析を行ったのがJones et al.(1986)ほかの一連の研究である。ジョーンズの所属機関がイギリス(イーストアングリア大学)であることを考えると、なるほど海洋王国から生まれるべくして世に出た研究といえる。ジョーンズらの研究については後に解説する。

 

参考資料
・Paltridge, G. and S. Woodruff: Changes in global surface temperature from 1880 to 1977 derived from  historical records of sea surface temperature. Monthly Weather Revies, 2427-2434. 1981
・Mitchell, J.M.: On the world-wide pattern of secular temperature change. In: Changes of Climate. Proceedings of the Rome Symposium Organized by UNESCO and the World Meteorological Organization、 Arid Zone Research Series No.20, UNESCO, Paris, 161-181. 1963
・Folland, C.K. D.E. Parker and F.E. Kates: Worldwide marine temperature-fluctuations 1856-1981. Nature, 310, 670-673, 1984
・Jones, P.D., T.M. Wigley and P.B. Wright: Global temperature variation between 1861 and 1984. Nature, 322, 430-434, 1986

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地球温暖化曲線の系譜(9)温暖化の再開

エミリアーニによって明らかになった深海水温の変動周期とそれから推測された氷河期の到来に関する議論に対して、ミッチェルは1972年に次のように述べて断定した。ミランコビッチ周期に採用されている軌道変化などは、将来の気候変動に大きな影響を及ぼさない。予想される実態としては、人為的な効果が介入することで、どちらかと言えば現在の間氷期がさらに引き延ばされることが起こるだろう。活発化した産業活動は二酸化炭素などの温室効果ガスを大量に放出し、それが毛布のように地球を覆うことで、氷の世界への浸入が妨げられるだろう。

1975年にNational Academy of Sciencesが招集した最先端の研究者の会議で、こうしたミッチェルの考えに対し、暫定的だが同意が与えられた。氷河期に向かう強制力が及んだとしても、気温は上昇し、今世紀の終わりまでに予想される温室効果の半分程度が二酸化炭素による濃度上昇と考えるのが妥当とされた。また、地球化学者かつ海洋学者であるWallace Broeckerは、自然の周期の効果に疑問を持ち、率直な態度で、「気温の変動周期が太陽活動に依存するとしても、温室効果ガスによる温暖化を一時的に相殺するだけだ。今後20~30年後に、温室効果はどんな周期現象よりも卓越するようになる。」(Broecker, 1975)と述べた。そして次のように問いかけた。「我々はこれまでに経験したことのない地球温暖化の瀬戸際に立たされているのではないか?」

こうした意見が表明される一方で、1975年、二人のニュージーランドの科学者が、北半球が過去30年間に寒冷化したことと対照的に、彼らの住んでいる南半球では温暖化が進行しているという論文(Salinger and Gunn, 1975)をネイチャーに発表した。概要は次のようである。広大な海が分布する南半球では、観測地点の数が非常に少ないことは否めない。この点を考えると、議論の的になってきた1940年以降の寒冷化は主に北半球で起こっている。産業から排出された微粒子が温室効果ガスによる温暖化を打ち消す現象が北半球で起こっていたのではないか。要するに、北半球は世界の産業が集中して立地し、多くの人間が住んでいる地域でもある。人が住んでいればその周辺の天候が主な関心事になるのが普通だ。

1970年代初めに科学者達が抱いた寒冷化の進行の疑いは、この時点で崩壊しつつあった。ジャーナリズムは、今や気候科学者は二手に分けられ、徐々に温暖化に向かうことを指示する人数が増えつつあると書いた。良い例がラムで、彼は1950年代に気候の揺らぎに注目した気候学者である。母国イギリスの歴史記録を解析し、中世の温暖期に続く小氷期の時代の気候を再現した人物で、1960年代の寒い気候をもとに新たな氷河期が訪れるという自然周期の研究で目の前で進行している現象を説明しようとした。しかし、南半球で起こった現象の報告や1976年のイギリスの暑い夏を経験し、人為的な温室効果ガスの放出が西暦2000年ころまでにいわゆる自然の揺らぎを卓越するという考えに自ら至ることになった。

さて、この時期におけるこうした温暖化論の再生論は、学術的な発展で自発的にもたらされたのだろうか。否、それだけとは考えられない。なぜなら、1970年代後半には現実に地域により全球平均気温の上昇が始まっており、その裏付けとなる観測地点の時系列記録が、以前よりも早く人々が目にすることができる時代になっていたことも、温暖化論の再興の背景にあったと考えられる。

参考文献

  • Broecker, W.S.: Climatic change: Are we on the brink of a pronounced global warming? Science, 189 (4201), 460-463. 1975
  • Salinger, M.J. and Gunn, J.M.: Recent climatic warming around New Zealand. Nature, 256, 396-398. 1975

本年度第1回理事会(公開)の報告

本年度第1回理事会(公開)を行いました。議事録ほかを、会員のページに掲載しました。今回取り決めた諸活動について、今後、ホームページに具体的な案内をいたします。会員の皆さんは、興味のある活動に参加して頂くとよいでしょう。

台風一過の虹 (2015/7/20)

昨日、夜明けとともにぱらぱらと雨が降り、日の出頃の西空に虹が出ました。

IMGP3027コピー[3]2015.7.20 午前5時頃 撮影地:藤沢市用田
主虹の外側にうっすらと副虹が見られます。主虹と副虹とは色の並びが逆になっています。その間がアレキサンダーダークバンド。肉眼では、確認できましたが、写真にはあまりよく映りませんでした。
ちなみに、次の2枚の写真は一昨年同じ場所で撮影したものです。10年に一度という大型の台風、平成25年台風26号が房総沖を足早に抜けていこうとしていました。
IMGP0151 - コピー[4]
IMGP0142 - コピー[3]
2013.10.16 午前5時30分頃 撮影地:藤沢市用田
七十二候では、二十四節気『清明』の末候に『虹始めて見る(にじはじめてあらわる)』とあります。4月中旬ころです。経験的にも、虹は夏に多く冬に少ない感じがしています。
角田 宗夫

 

地球温暖化曲線の系譜(8)変動の根拠を求めて

科学者や一般大衆の間に、1970年代の気温が温暖化でも寒冷化でもないという認識が広がると同時に、少しずつではあるが地球の気候は動いており、それも規模が大きいと考えられるようになった。今や、安定した「標準」気候の存在を支持する議論は、希にしか聞かれなくなった。1970年代の初めには、世界中のさまざまな地域で一連の破壊的な干ばつに象徴される希有な天候の期間がつづき、世界の食糧貯蔵量が枯渇するのではないかという警告が発せられた。異常気象による災害が頻繁に起こり、これに対する慈善事業が多く行われるようになった。

異なる方向をもった現象が微妙なバランスで成立している様相が、社会に不安を醸すようになっていく。このような不確実な状態に答えを与えるため、1973年に日本の気象庁が世界中の気象サービス会社へ質問状を送った。しかし、実際に起こっている現象に対する科学的説明について、何の合意も見出すことができなかった。どの国でも、明確な判断を導く意見は認められなかった。そのうちの幾つかが、寒冷化が始まったと報告したことは、今になってみて興味ある。

ここで、1973年に気象庁が行ったアンケート調査(気象庁, 1974)について紹介しておこう。世界気象機関(WMO)加盟の主要30ヶ国の気象機関を調査対象とし、近年の世界の異常気象の実態とその長期見通しを調査事項とした。回答は23ヶ国から寄せられた。重要な点は、丁度この時代には1940年代以降の気温低下が認識されていたことである。特に後者の事項について、主な回答を要約する。

アメリカ大気海洋庁(NOAA)の回答は次のようである。天候変動の様相の大部分は偶発的、一部が系統的であり、系統的な変動の一つとして世界の広大な領域で寒冷化の進行が認められている。具体的には、北極圏の氷原の拡大や山岳氷河の前進が始まったと考えられる。偶発的、系統的の双方ともそれを説明する原因は見つかっていない。世界の気候変動の原因が解明されなければ今後の気候予測は不可能である。また、将来予測の際に留意すべき点は、(1)人間活動の影響が大気を暖める方向に働く。この規模は、エアロゾルによる寒冷効果を上まわる。(2)ミッチェルの個人的な見解だが、現在起こっている寒冷傾向は今後10年から20年以内に終息しそうである。(3)現在の間氷期はすでに約1万年継続しており、今後あまり長くは続かないと考えられる。

カナダ大気環境局(AES)の回答は、現段階では気候変動の将来予測に対してやや否定的で、自分たちは研究には取り組んでいないとした。西ドイツ気象局は、異常気象が増加している原因として、通信技術の発展やそれまで開発が進んでいない地域への人間の進入で情報が集まりやすくなった点をあげ、気候変動や異常気象の将来傾向の予測は非常に危険であるとのべた。

またイギリス気象局は、1900年から1939年に暖冬が現れて幾分異常だったとした上で、現在の気象学では今後10年以上の気候変動の推定は不可能で、たとえ将来予測が可能な場合でも長い気候学的な記録に基づく必要があると回答した。この他、タイ、ニュージーランドほかの回答は、おしなべて将来予測に否定的、または関係する研究や調査自体を行っていないので見解が述べられないというものだった。

気候がどの方向へ変化しつつあるのか、それもどの地域で、という人々の疑問に対し科学者達は説明する責任があったが、彼らに気候変動のメカニズムを探る決定的な手立ては無く、後述するHansen et al.(1981)の研究が世に出るまで答えを出すことはできなかった。例えば、火山から噴出した微粒子は寒冷化に効果的であるが、その量的な影響を知ることは出来なかったのである。一方、人為的汚染、例えば土地利用の変化で浸食された大地が生まれ、そこから発生した粉塵や、工場からの煙霧が増えて日射が遮られ、地球表面が冷却することに注意が向けられた。多くの専門家達は、地球気候に決定的に影響すると考えられる大気汚染をこれまで野放しにしてきたことに、懸念を投げかけた。

地球が寒冷化に向かうことを示す新たな見解が、海洋学者の研究結果から導かれた。地球の気候は、太陽活動の長期の揺らぎに依存するとうものである。これは、ミランコビッチ周期と関連して議論された。ミランコビッチ周期は、何万年もの長い期間について地球の軌道の僅かな変化をもとに見出したものである。

さて、話しをハンセンのモデル研究が発表される以前のころに戻そう。マイアミ大学海洋科学研究所のCesare Emilianiが、カリブ海の海底からサンプリングしたコア試料を解析し、コア堆積物に含まれる酸素同位体比から推定した深海水温の変動周期と、過去のミランコビッチ周期が極めて良く一致する事実を発見した(Emiliani, 1966)。僅かな変化が、太陽から入射するエネルギーに周期的な変化をもたらし、地球の気候がそれに応答する。この関係に基づき、地球気候が次の氷河期に向かって変化すると指摘されたのである。

参考文献

  • Hansen, J.,  Johnson,A. Lacis,S. Lebedeff,P. Lee,D. Rind and G. Russell: Climate impact on increasing atmospheric carbon dioxide. Science, 213, 957-966. 1981
  • Emiliani, C.: Paleotemperature analysis of Caribbean cores P6304-8 and P6304-9 and a generalized temperature curve for the past 423,000 years. The Journal of Geology, 74 (2), 109-124. 1966
  • 気象庁:近年における世界の異常気象の実態調査とその長期見通しについて.気候変動調査研究会,347p.1974
  • ミランコビッチ周期解説図:http://www.gaia.h.kyoto-u.ac.jp/~ishikawa/Lecture/Grad/Grad-05.pdf#search=’%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%81′

ミランコ図

梅雨の晴れ間の夕焼け

梅雨の合間に、めずらしく、冬に負けないほどキレイな夕焼けが現れました。夏至を過ぎた頃で、西北西へ回り込んだ太陽が、沈む直前に、層積雲の底をオレンジ色に染めました。空気は湿って暑いですが、直前の雨で視程が良くなり、はるかに富士山の向こう側の雲まで見えました。画面左下の黒いシルエットの松の樹の頂上で、カラスが子育てをしています。家族で、夕焼け空を楽しんでいるハズですが、どうでしょう。

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地球温暖化曲線の系譜(7)温暖化それとも寒冷化?

1961年1月のニューヨークで雪の多い異常な寒さの日に、J. Murray Mitchell, Jr、アメリカ気象局の気候オフィスに所属する研究者、は気象学者の会合で、地球の気温は下降していることを報告した。彼は、カレンダー(この頃、最初の発表以降、自ら地球気温の記録を更新し、変動しながらも上昇傾向を示すグラフの修正版を発表していた)とは独立に、地道に入念な計算を行い、全球に及ぶ地域を対象としたもっともらしい平均気温を得るに至っていた。彼が示した結果は、地球平均気温はほぼ1940年まで上昇したが、その後、場所また年による非常に不規則な変動があるが、今や下降に反転したことを示した。

ミッチェルは、大気中のCO2濃度の上昇は気温上昇をもたらすということを認めつつ、最近の火山爆発と、恐らく周期的に起こる太陽活動の影響が重なり、この時期に下降に反転したと考えた(これは、その後の研究で正しいことが証明されることになる)。しかし、当然のことながら「こうした説だけでは、最近の気温下降の規模を説明するに十分でない」と彼は感じていた。そこで、結論として「不思議な謎」とだけ言及した。彼は、この気温降下は80年ほど継続する自然の揺らぎである可能性があるとも指摘した。

古老の科学評論家、Walter Sullivanは、その後の1961年1月25日と30日のニューヨークタイムスで、気象学者達は気温が下降している実態に基本的に同意したが、その原因あるいはその他の気候変動の存在は同意できず、「さまざまな可能性が議論され、科学的事実との決闘に火花が散った」ことを紹介した。科学者ばかりでなく、一般に人々は、野外を歩く時の天候に特別な注意を払うのが常である。混迷しているように見える気候科学は、衆目の厄介者のような存在になった。地球温暖化が身近に起こっていると言われるなら、その真偽が注目の的となるのはしかたないことだった。

1960年代を過ぎ1970年代に入る時期に、全球平均気温は相変わらず寒冷化する傾向にあった。特に西ヨーロッパでは、記録に残る寒い冬が訪れた。実際に1970年代の研究では、北大西洋上の準定常長期天候周期変動の解析が進み、1960年代には極循環の流れがより南へ張り出すモードに移行していたことが知られていた。

1970年代初め、地球が暖まっているか冷えているか、再び気候の専門家達が集まって議論を行った。カレンダーはすでに亡くなっていたが、彼も気づいていた、今や厄介とも思われる気温の下方への曲がり角について気候の専門家達は議論した。ランズバーグといえば、彼の初期の見解、気候は恐らく移行状態の変動を呈しているに過ぎないという見解、にたち戻った。またこの一方、大気汚染とCO2の温室効果は限られた地域で気候に影響しているかも知れず、従って「全球規模では、未解明の自然の力が卓越していることが考えられる」とした。同時に、賢明にも、遠い将来の地球環境の変化の見通しに関連して「自己満足に陥るべきでない」と付け加えた。

ストーム・チェイサー:本の紹介

つくばの出版社から、「ストーム・チェイサー 夢と嵐を追い求めて」が出版されました。妙味有る方は、下記の出版社のURLからご覧下さい。

他にも、筑波山に関係する本を出版しています。今回、出版社・結エディット(野末さん)の許可を頂きご紹介いたします。

他にも、http://yui-books.com/IClogs/ic_log/f201205211242_201505151947.html、など異常気象のパネルがあります。