私が高校生だった昭和40年の夏に、松代群発地震が発生しました。非常に狭い範囲に集中し、数年継続しました。当時、地震被害の報道とともに高精度の地震計が松代地震観測所(松代大本営跡の地下壕)に設置されていることを知りました。原因不明の不思議な地震(現在は、発生要因が判明)というだけでなく、長さ300メートルの歪み計を地下壕に設置するとはいったいどういうことか。何よりも、太平洋戦争の本土決戦に備えて掘削した地下壕が存在するという事実が衝撃的でした。
松代には日本軍の大本営用の地下壕だけでなく、天皇の御座所(皇居移設を想定した建築物と地下壕)も建設されました。地質、地名、古来より生活する人々の精神構造など、長野県には大本営や皇居の転居先となる特別な地勢がありました。その後、日本の高層気象観測の歴史を調べる過程で、旧陸軍登戸研究所(現在の明治大学生田キャンパス)を知ることになりますが、この登戸研究所も終戦前年に長野市・松本市・伊那市の周辺に疎開していました。軍の大本営の誘致と並行し、近くに疎開地を選んだことになります。
先日、長野県を縦断する機会があり、松代に立ち寄りました。軍関係施設が利用する大本営は象山の地下に、天皇御座所はその約一キロ南の舞鶴山南向き斜面に位置しています。現在は、両者とも長野市が整備し見学することができます。先に述べた松代地震観測所は天皇御座所跡に設置されました。以下に、パンフレットおよび写真を掲載します。興味ある方は、訪問してみてはいかがでしょうか。